昭和30年後半 大阪下町
一昨日我が家の晩御飯はすき焼き 私が割したで作った。
母が「割したって便利ね」という 母の作るすき焼きは大阪に来て
姑にならったもの 醤油と砂糖で肉を焼いてから って作り方。
私には加減がわからない。
母曰く「そうそう 大阪のおばあちゃんに教えてもらった。砂糖と醤油と○○〇〇」
〇〇〇〇は化学調味料
あの頃 料理に入れてたな。元々あったもんじゃないから流行った。
例えば刺身 小皿に醤油を入れて化学調味料をサッといれつけて食べる。
入れると美味しく感じるから 祖母の料理にはすべて入ってた。
小学生になるとどこからかあれは味覚障害を起こすとか言われ始め
迷信かどうかはしらんけど不自然だよね アレ。自分の小皿には入れるのを止める。
父と母我々姉妹が引っ越した後は母が料理にいれない。
お婆ちゃんにおすそ分けを貰うとき(よくマヨネーズを和えたサラダをくれた)
我々姉妹は食べなくなった。ごめんね。
懐かしいな。今でも 100均の食料売り場にひっそりと小さいのがあった。
24年前スーパーに働き始めた時も大きな缶をみかけた。特売もあった。
冬のお婆ちゃんちは火鉢があり練炭がいこってた。夕方になると豆炭追加。
それを行火にいれ、寝る時 足を温め朝冷たくなると捨てる。
懐かしき昭和の風景。
夏になるとスイカを食べる。父も叔父もスイカが好き
週にゴミ回収は一回の時代。 スイカの皮が大量にでたら。。。
夜 若い嫁である母がそれをバケツに入れて捨てに行く。
「嫌だった」そうだ。
堤防から下に捨てるんだって。今やったら大問題だろう。
山形から嫁にきて それをするのが嫌だったし他言しないから
皆のうちがその時代それをしてたかもわからない。
昭和30年初め 山形
母が若い頃 初めてすき焼きをたべたのは
お兄さんがすき焼きという物をどこかで知ったから
「〇〇(母の名)今日はすき焼きを食べさせてやる。肉を買って来い」
と言われ、素直な母は 街まで 雪の中 歩いて買いに行った。
豚肉を買った記憶がある、そうだ。 (牛肉なかったみたい)
わざわざ 雪の中を少女に買いに行かすのかよ。
「当時は街にしか売ってないからね」という。
農家だから 鶏は飼ってる。野菜は作ってる。魚は行商人が売りにくるんだって。
母は今でも小さくて可愛らしいから スイカを捨てに行かされたり
雪の中を歩かされたと聞くと かわいそうになってしまう。
昭和の男達め!!!
令和の時代のベランダ 今日の朝顔ちゃん
土の上3cmちゃんは 無事に咲いて 綺麗だった。
今日は4つ咲いている 花盛りな秋である。

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