年賀か喪中か

諸々

米は増えた ハガキは 未定

令和コメ騒動も落ち着き 売り場には米がいっぱい。大幅に値上がりしてるけど。
米を買えなかったのは怖かった。うちは切り抜けて全くなし状態にはならなかったけど。
少なくなったら買う。 新米の季節 米農家の母の実家から宅急便が届いた。
母の兄の長男 我々のいとこから。
母がお礼の電話をしたところ 彼のお嫁さんが電話にでて近況で伝えた事には
母の兄はそろそろ危ないから 親戚が呼ばれてるそうだ。
うちは遠いからお葬式にもいけないと母は辞退宣言。足が痛いし高齢だしと。
今年 喪中になるかもーと言っている。母にとって二親等。
年末 今年は年賀状印刷私がと準備していたが喪中かー。
母の弟妹 兄の子などが対象外だから 喪中はがきは少ない数になる。
しばらく 用意はできない。

伯父の状態

母の2つ上のお兄さん 嫁入り前まで実家の農業を母は手伝っていたので
仲良く青春を過ごしていたようだ。
実家に帰って最後に会ってくるか?と聞いたら NO
もしものことがあってもお葬式にいかないらしい。
東北でうちの近くの空港から直行便がでていない。
東京から乗り継ぎか 県のもう一つの空港から便は実家から遠く
タクシーで2時間かかる。 実家から車で送ってもらうのも気がひける。
私がついていくと言っても もういいという。
5年以上前に祖母の3回忌と伯母の1周忌にいったのを最後だと思ったようだ。胃ろう
伯父は恋愛結婚をした伯母が亡くなってから ボケたようになり その後病気で胃ろうになり
現在は施設にはいっている。

生前の祖母の状態

祖母は100歳近く長生きをした。晩年は自分の部屋で寝て過ごしていたようだ。
母は70歳代何回か帰省し 祖母の世話をやいていたが。
祖母の部屋はあまり掃除されていなかったという。この家 伯父伯母いとこ農業
いとこ嫁は外に働いていたから 家の事を専任でする人がいない。
祖母もあまりかまわれていなかったようだ。そういう家風なんだろう。
母も一週間程 帰省しても口出しをすることはなく 祖母の世話をやいたそうだ。
自分が帰ったらまた そのままなんだろうな、と思ったが割り切るしかない。

こどもは親の背中はみていると思う。祖母をこまめに面倒をみることがなければ
子どもも年寄りの扱いってこんなものだと思う 伯父だってそんなにかまってもらってないだろう。
その子どもだってきっとそうなる だって親は手本なんだもん。

私は母が皆の面倒をみてきたから この人は私が面倒をみる。と自分に言い聞かす。
だって 働きながら 父 姉 私を食べさせ、 大阪の祖母の世話をしに通い
70歳過ぎて 実家で祖母を行った時だけでも居心地いい部屋にしてあげたりもするん
だもの。
至らないとは思うが寂しい思いはさせないくらいはできる かな。
頼りにしていたがいつのまにか世代交代 ちっこい婆ちゃんになった。
まだ達者で家事もしている。

葬式にいかないと割り切ってるが もしなくなったら ショックだろうな。

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